スピン渦誘起ループ電流と銅酸化物超伝導体についての理論的研究
本研究室では、理論的手法により、銅酸化物高温超伝導体の超伝導機構解明を目指した研究を行っています。また、銅酸化物の擬ギャップ相にその存在が理論的に予言されている"スピン渦誘起ループ電流”を利用した量子コンピュータ実現のためのシミュレーションも行っています。

1.銅酸化物超伝導体、擬ギャップ相の解明。

銅酸化物における超伝導発現のメカニズムはその発見から25年以上たちますが、いまだに解明できていません。銅酸化物は反強磁性絶縁体である母物質にホールまたは電子をドープしたときに超伝導となります。 左に、ホールをドープしたときの相図を示します。x がホール濃度をあらわし、0.05< x <0.3 あたりで超伝導状態が出現します。ここで注目すべきは擬ギャップ相(pseudogap)です。これは、低ドープ領域、超伝導状態よりも高温側で出現します。この相はある種の対称性が破れた相であると考えられていますが、我々は、この相を特徴づけるのは、スピン渦とスピン渦誘起ループ電流であると考えています。
スピン渦誘起ループ電流の生成

左図のように擬ギャップ相が始まる温度と磁気カー効果が観測される温度が一致します(J. Xia et al., PRL 100(2008) 127002)。このことは、擬ギャップ相には何らかのループ電流が存在することを示唆します。我々は、このループ電流はスピン渦が生成された為に生じると考えています。
砂時計型磁気励起スペクトルとスピン渦

擬ギャップ相では、中性子線散乱実験により、磁気励起スペクトルが観測されています。この磁気励起スペクトルは砂時計型の分散を持っています(一番右図)。我々は、これは、擬ギャップ相にはスピン渦が生成しており、スピン渦存在下で、スピン波による励起を考えると説明できることを示しました(一番左に、スピン渦を、中央に計算により求めたスピン波の励起スペクトルを図示してある。
2.スピン渦誘起ループ電流の生成
それでは、なぜ、スピン渦が存在するとループ電流が生じるのでしょうか。それは、スピン渦が仮想磁場をもたらすからです。この仮想磁場 (fictitious magnetic field) は電磁気学で出てくる磁場ではありません。しかし、伝導電子に対し、磁場のような効果を与えます。図にハバードモデルと呼ばれるハミルトニアンH が書いてありますが、このH から出発して、ある条件が揃ったときに、仮想磁場が出てくることを示すことができます。この H は、U >> t のとき、銅酸化物の母物質のCuO2面をうまく記述することが知られています。母物質では、サイトの数と電子数が同じハーフィリングとなっています。ここに、ホールをドープします。ド−プされたホールは低温では、スモールポーラロンになり移動度が小さいと考えられます(ただし、表面付近では、スモールポーラロンの生成は抑制されて、ホールはかなり自由に動けると考えられています)。この場合、第ゼロ近似として、ホールが動かないと言う近似が考えられます。それが、HEHFSです。

第ゼロ近似で動かないとしたホールを中心にスピン渦が存在すると仮定します。そして、CuO2面内に偏極をもつスピン渦を記述するのに便利な生成・消滅演算子 (a と b) を導入します。この新しい生成・消滅演算子よってホッピング項 K を書き直すと、そこに仮想磁場を記述するベクトルポテンシャルAficが現れます。HEHFSは実効的にハーフィリングなので、完全占有された下部バンドと占有数がゼロの上部バンドに別れます。この状態は、バンド理論によると絶縁体ですが、仮想磁場が存在する為に電流が流れます。固定した ξ に対して, χ には、自由度が有ります(固定した ξ はスピン配置を決めたことに相当する)。それを説明するにはトポロジカルな保存量、巻き数 (winding number) を導入する必要が有ります。条件というのは、あるスピン渦を中心にした時に、ξ の巻き数と χ の巻き数の和が偶数とならなければならないというものです。このことにより、例えば、巻き数+1のスピン渦が存在すると(ξの巻き数が+1)、χの巻き数はゼロとなる事ができなくなります。一般にゼロでない巻き数のχはループ電流をもたらします。これが、スピン渦誘起ループ電流です。
3.スピン渦誘起ループ電流の検出
スピン渦誘起ループ電流は局所的にかなり強い磁場をつくる事が理論的に予想されています。数nmの範囲にしか広がっていませんが、0.03Tの磁束密度があります。この強い磁場を検出すれば良いのです。また、円偏光の光に対する応答の違いを利用する方法も考えられます。実験家(筑波大、産総研、日立中央研)の協力を得て、スピン渦誘起ループ電流の検出実験が進行中です。
4.スピン渦誘起ループ電流の制御:量子コンピュータへの応用

巻き数+1または−1のスピン渦に対して、巻き数+1または、−1のループ電流が可能です。右下の図のような2つの巻き数+1のスピン渦(Mで中心が示してある)と2つの巻き数ー1のスピン渦(Aで中心が示してある)がある系を考えます。各々のスピン渦のまわりに巻き数+1または、−1のループ電流ができるとすると、電流パターンは16通りになります。そのうちの8つを図の(a)-(h)に示します。残りの8パターンは全てに電流を逆向きにしたものになります。このループ電流の右向きー左向きを量子ビットとして量子コンピュータが実現出来る可能性があります。 従来の計算機は1ビットにつき、0か1の何れかの値を持つのに対し、量子計算機では量子ビットにより、1ビットにつき0と1の値を任意の割合で重ね合わせて保持することが可能です。したがって、n量子ビットあれば、2nの状態を同時に計算できる。もし、数千量子ビットのハードウェアが実現したら、理論上、現在のスーパーコンピューターで数千年かかっても解けないような計算でも、例えば数十秒といった短い時間でこなすことができることになります。 現在、理研の世界最高性能スーパーコンピューターの使用可能メモリーが10ペタビット(10の16乗)くらいですが、100量子ビットの量子コンピューターは10の30乗(= 2の100乗)ビットのメモリー空間をつかうことになります。大きさも小部屋一つくらいに納まり、使用電力も一世帯のそれぐらいであると考えられ(次世代スーパーコンピューターは専用の発電所が必要)環境負荷も小さいと予想されます。計算機の大幅な性能アップ、環境エネルギー問題などの観点からも量子コンピューターの早期実現が望まれます。