〜筑波大学物質工学系 門脇研究室〜

助手Kと大学院生Nのある朝の会話

K: N君、おはよう

N: おはようございます。その前に、昨夜の実験の結果なんですけど…

K: そうだったな、どれどれ…。あ、そう言えば今度大学受験生以上向けの研究室紹介の記事を書くことになったんだけど、何を書いたらいいんだろうか?

N: そうですねえ、大学生はともかく、大学受験生に興味を持ってもらうように書くのはなかなか大変でしょうね

K: そうなんだ。このご時世、大学の研究室と言えど宣伝は重要なんだ。ところで君はなんで門脇研に入ってきたんだ?

N: 僕は、超伝導に興味があったからですね、特に高温超伝導に。小学校の頃高温超伝導が発見されたとき、ちょうど理科に興味を持ち始めた頃だったので、すっかり頭に刷り込まれちゃったんですよ

K: へえ、なるほど。それで、何をやりたかったんだ?

N: 今思い出せば恥ずかしいんですが、室温超伝導体を作れたらいいな、なんて

K: 恥ずかしがっている割には強調してるな。

N: 「高温」超伝導といっても、普通の人間の感覚と比べたら全然低温のマイナス200度とかそこらでしょう、それでノーベル賞をもらえるくらいなら、室温超伝導体なんて作ったらそりゃもう夢のような人生ですよ!

K: まあまあ、落ち着いて。確かに1986年に高温超伝導を発見したベドノルツとミュラーは翌1987年にノーベル賞を受賞した。これほど発見、あるいは論文の発表からノーベル賞の受賞までの期間が短いのは極めて異例なんだ。例えば、日本人で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹が中間子論を発表したのは1935年、ノーベル賞を受賞したのは1949年、14年のタイムラグがある。前筑波大学長の江崎玲於奈は16年かかっているんだ。いろいろ違いはあるんだけど、それだけ彼らの発見が偉大であると言うことがわかるだろ

N: そうですね、だから室温超伝導だと…

K: いやいや、大切なのはここから。彼らの発見は温度を下げていったときに電気抵抗がゼロになる温度、すなわち超伝導転移温度を劇的に上昇させたこと、と紹介されることが多い。確かにそれも偉大な発見だが、本当に偉大なのは別のところにある。なにかわかる?

N: なんでしょうかね?

K: ヒント、高温超伝導以前の超伝導体と高温超伝導体とのもっとも大きな違いは?

N: えーと、それまでの超伝導体は単体の金属か合金。でも高温超伝導体は酸化物!!

K: そう、さすが大学院生。彼らの発見のもっとも偉大なところは絶縁体である銅酸化物を母体とする物質に電流の担い手としての電荷をわずかに足してやって超伝導、しかもそれまでよりずいぶん高い温度での超伝導を実現させたところにあるんだ。そしてそれが高温超伝導を完全に説明するメカニズムが未だに求められていないひとつの理由でもある訳さ。

N: なるほど。それにしてもなんで絶縁体がいきなり超伝導になっちゃうんですか?絶縁体と金属などの導体の間には明確な違いがあって、温度を下げていくと導体では抵抗が小さくなるのに対し、絶縁体では抵抗が大きくなるとどの固体物理の教科書にも書いてありますよね。抵抗が上がっていったと思ったらいきなりゼロになるんですか

K: いきなり高温超伝導の話をする前に通常の金属における超伝導について考えてみよう。通常の金属や合金における超伝導は理論的に解明されていて、二つの電子が引力によって結びつき、そのペアが広い領域で波のように振る舞うようになると超伝導が現れると説明されている。これがBCS理論というやつ

N: つまり早い話、電子が電子対を形成して、巨視的量子状態に相転移するわけですね

K: そう、その通り。Bのバーディーンさん、Cのクーパーさん、そしてSのシュリーファーさんが役割分担して考えたら実に見事な理論ができあがったわけ。それで、その巨視的量子状態というのが重要なんだ。原子や電子レベルのミクロな世界で物体は波の性質、すなわち波動性をもっている。端的にどういうことかというと、実世界で物体の運動を表すのに、質量・速度・位置などを用いるが、ミクロの世界では「位相」という概念が重要になるんだ。

N: 波の「位相」というのは例えば正弦波を仮定したときのsinq のq  のことですね

K: その通り。超伝導は電気伝導の話なので、電子について通常の、超伝導ではない物質と比較してみる。通常の物質の中に数多く存在する電子個々の位相はそろっていないため、波動性は電子のごく近く、それも原子の大きさ以下の範囲でしか有効ではなく、電子は散乱されて電流は減衰する。反対に超伝導体中の電子は位相がそろっているので、目に見える、つまり巨視的な大きさで波動性は有効になり、電子は散乱されず電流は永久に流れ続ける

N: うーむ

K: ちょっと話が難しくなったようだね。光にたとえて言えば、通常の電気伝導は懐中電灯の光、超伝導はレーザーの光。レーザー光は位相がそろっているので、ほとんど散乱されず遠くまで強い光が届く。一方、ふつうの光は位相がそろっていないのですぐに減衰してしまう

N: だからレーザー光は横から見えないんですね

K: その通り。さらに超伝導転移のメカニズムをたとえて言うと、こんなになる。電子さんひとりひとりは非常に個性が強くてお互いによく衝突するのでなかなか物事が進まない。これが超伝導でない場合。しかし、性格が全く反対の「ふたり」の電子さんはあるきっかけでお互いに引き寄せあい、やがてカップルになり、電子のペアを結成する。まあ、人間の世界でもよくあることなんだけどね。ひとたびペアを作ると、ペアの集まりとしての電子集団の意志は統一されて物事はすんなり進む。これが超伝導の場合。かなり無理があったかな

N: 何とかいけてます。それで、高温超伝導もBCS理論で説明できるのですか?

K: 実はそれが問題なんだ。以前は、高温超伝導はBCS理論では説明できない、とする説が強かった

N: ええ、僕も何かの本で読んだことがあります

K: 現在では高温超伝導の超伝導現象はBCS理論で使われた一部の考え方と同じ考え方で説明できるといわれている。つまり、電子が対を作って巨視的量子状態に移り超伝導となるのは高温超伝導でも変わりない。だがなぜ電子対の形成が高温で起きるのかというのは完全にはわかっていない

N: そこが一番重要なところなんですよね

K: そのとおり。現在わかっているのは、どうやら高温で超伝導になることと、母体が絶縁体であることは大いに関係があるらしい。というのは高温超伝導体の母物質の絶縁性は強い電子相関というやつがもたらしているそうな。そこに自由に動ける電子が少しでもあると何らかの原因で電子対を作り、超伝導になるという話だ。その「何らかの原因」というやつが問題で、それを追って世界中で物理学者が日々がんばってるわけさ。おっちゃんもその端くれやけどな

N: まさに端くれですね

K: ほっといてくれ。まあ、この「電子相関」という言葉は最近の固体物理の分野ではひとつのキーワードとなっている。まあ、それだけ高温超伝導体には解明すべき謎が多く潜んでいるということ

N: なるほど、その謎のひとつに僕らも挑んでいるというわけですね。ところで、親戚のおじさんなんかによく聞かれて答えに困るんですが、高温超伝導って何の役に立つんですか?

K:それ自身を解明することが人類の進歩になると思うけど、それじゃあ納得してくれないだろうな

N: そうですね。実用化されている例を挙げたらいいんですかね

K: そうだな、もし室温で超伝導になる物質が見つかればそれを電線にすることで送電時のロスが防げてエネルギー消費がぐんと減るはず。実際にアメリカでは高温超伝導体でできた送電ケーブルを使った実験が行われようとしているんだ。もっとも、ケーブルはマイナス200度程度まで冷やされているけどな

N: それは夢のような話ですね

K: まあ、実際に出来そうなのは、現在通常の超伝導体を使っている部分を高温超伝導体に置き換えることかな。例えば人体の断層写真を撮るMRI(磁気共鳴イメージング)やリニアモーターカーに使われている超電導磁石とか

N: 超伝導一般で言えばMRIが一番世の中の役に立ってそうですね

K: 他にも、高温超伝導体特有の性質を使って、半導体では不可能な強力な発信器や受信機などのデバイスの開発が研究されている。ちょうど君がやっている実験は直接そこに結びつくかも知れないんだぞ

N: へえ、そうなんですか。ますますやる気が湧いてきました。ところで、昨日の実験ですが…

K: ええ、どれどれ・・・

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